玉子湯の歴史

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玉子湯の歴史

四百年変ることない玉子湯の歴史を今に伝える

大正十年頃の湯小屋

大正十年頃の湯小屋「玉子湯」の写真です。

全国的にも有名な庭園内にある茅ぶきの湯小屋は当館創業から百四十年余もそのままの形をとどめております。
この硫黄泉に入ると肌が玉子のようになめらかになることと、温泉のにおいがゆで玉子ににているとのことで、玉子湯と名付けました。
玉子湯をはじめお風呂の種類は全部で7種類と豊富です。
それぞれに趣のある天授霊泉の名湯を心ゆくまでお楽しみ下さい。

当館の歴史を物語る貴重な資料の数々をこの機会にぜひご覧ください。
小さな部屋ですがちょっとしたタイムスリップが体験できます。

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~歌人に愛された高湯温泉~
高湯温泉は歌人に愛された温泉地でもあります。
斉藤茂吉、庄野潤三、埴谷雄高、加藤楸邨などがその軌跡を残しています。
「夕べの雲」などに代表され、吉行淳之介や小島信夫らとともに「第三の新人」と呼ばれた、庄野潤三は、昭和35年6月に当館に宿泊した経験を基に描いた 「なめこ採り」を翌月の「文学界」に発表しています。
福島民友新聞連載「ふくしまのいで湯と作家たち」へのリンク」⇒庄野潤三
また、異色の作家埴谷雄高の代表作「死霊」では、第五章「霧のなかで」において、乳白色の霧の描写からはじまっており、その情景と重なる濃い乳白色の霧は今でも見ることができます。
当館には昭和49年8月19日という年月日と埴谷、の名前とともに「玉子湯に遊びて」と添えられた色紙が残っています。
福島民友新聞連載「ふくしまのいで湯と作家たち」へのリンク」⇒埴谷雄高

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